やばーい。誕生日で貰ったお金を半分くらいBASARAに注ぎ込んでるよ…!
楽しいからいいけどさ。(よくねぇよ
色々頑張って真田幸村と伊達政宗は
天下統一しました…!
長かった…豊臣軍と伊達葬竜陣と鬼兵は嫌いです。
あと本田忠勝は人間じゃねぇ。(二回目
なぜ死なない!?これでも幸村は強い方だよ!?
ふはははは…是非も無し!(ぇ
あたぁ毛利とかアニキとか風来坊とかしてみたけど、(アニキ使いやすかった!)ザビーは無いだろ…!
家族全員で爆笑だよ。
登場シーンで上からのカメラアングルは駄目…!!
だって、
てっぺん禿げが丸見え…!
もうおなか痛くて戦闘どころじゃなかったよ!!
あー存分に笑ったよ。
明智にも笑った。
マザーがすんごい吃驚してたなぁ…
「きもい!」とか言ってた気がする。
「こんなんじゃないでしょ!」とか。
ごめんねマザー。変な物見せて。
てかこんなこと言いたいわけじゃなくて、BASARAしてると幸村がお馬鹿に見えるけど、実は
とんでもなく凄い人だったって言う話がしたかったんです。
はい、というわけでイオンの
『高校に行ったら役立つかもしれない!真田幸村(+α)講座!』の開講ですー
(ぱらりらぱらりら
まずは真田幸村から!
【日本一の兵】
幸村の活躍で最も有名なのが、天下分け目の戦いの一つである
大阪夏の陣のエピソード。
このとき幸村は豊臣側の将として参戦していたが、戦況は敗色濃厚となっていた。そこで幸村は、徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を決行。
数に勝る徳川軍を蹴散らし、家康をあと一歩のところまで追いつめるも、家康の家臣によって討ち取るには至らなかった。
このあと結局力つきて討死にしたが、この活躍によって幸村の名は広く後世に伝わることになった。
【真田三代記】
江戸時代の歴史小説。真田昌幸、幸村、大助の三代(親、子、孫)と徳川家との戦いを書いた物語。
幸村は徳川家に敵対した人物だが、幕府はこうした物語を規制する事はなかった。
そのため、幸村達の活躍は江戸時代の人々にも広く知れ渡ることになり、悲劇のヒーローとして講談などで大
いに人気を博したという。
【真田十勇士】
幸村の家臣として活躍した10人の勇士の総称。
この呼び名は大正時代に出版された立川文庫が初めて使ったとされ、猿飛佐助といった十勇士が活躍する小説がヒットしたことで一般に広く浸透した。
なお、十勇士にはモデルが居るとされているが、
基本的には架空の人物で在り、その武勇伝も創作である。
(幸村の活躍が余りにも目覚ましかったので、このような話が生まれたとされる)
【六文銭】
旗印などに描かれている真田家の家紋。
六文銭とは仏教でいう「六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界の六つ)銭」を意味し、亡くなった人を葬る際に三途の川の渡し賃として棺に入れるお金を表している。
つまり、三途の川の渡し賃である六文銭を旗印にすることで、
“いつでも死ぬ覚悟は出来ている”という真田軍の強い意志を示しているのだ。
こういうのを聞くと「幸村すごい!」って思います。
昨日も塾で社会の先生と幸村について話してました。
やっぱ知ってる人は知ってるもんだねぇ。先生は上の殆ど知ってました。吃驚だ。
でもあれだよ、最初に書いてる「大阪夏の陣」。あれ豊臣軍って書いてるけど、忠誠誓ってるとかそんなんより、実際は長篠の戦いで
浪人になってたのを雇われた的な感じだよ。
浪人って…!あんなに活躍したのに…!
昔の世の中は恐ろしいなぁ…
でもそのとき家康を討ち取っていたら、今の世の中変わってたかもしれないってことを考えるとやっぱり幸村は凄いよなぁ…
まだまだ書くネタはあるけど載せるのがめんどいんでまた今度。(あるネタは明智と竹中と徳川とかすが)
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